「知らなかった」より「聞けなかった」のほうが残る
子どものころを振り返ると、お金の知識が足りなかったこと以上に、お金のことを聞けなかった感覚のほうが強く残っています。
家の中でお金の話があまり出ない。 気になることはある。 でも、聞いていいのか分からない。 聞いたら怒られそうな気がする。
そんなふうに、分からないまま通り過ぎてきたことが、意外とたくさんあった気がします。
大人になってから学べばいい、と言えばその通りです。 でも親になってみると、あの「聞けなかった」は、ただの知識不足より少し重いものだったなと思います。
知識はあとからでも補えます。 けれど、聞けない空気の中で育つと、分からないことをそのままにする癖が残りやすい。 それは、子どもに残したくないものの一つです。
お金の話を避ける家庭で育つと、何が残るのか
お金の話をしない家で育つと、単に「お金に詳しくない」だけでは終わらないことがあります。
たとえば、こんな感覚です。
- 分からなくても、そのまま流してしまう
- 何かを決めるとき、根拠より雰囲気で動いてしまう
- 気になることがあっても、今さら聞きづらくて止まる
- 本当は確認したいのに、聞かないまま進める
これは、お金に限った話ではないかもしれません。 でも、お金の話は特に、聞けないまま大人になると後で響きやすい気がします。
たとえば税金、保険、契約、住宅費、通信費。 子どものころには見えにくいけれど、大人になると急に現実味を帯びるものばかりです。 それなのに、「よく分からないけれど、まあいいか」で進める癖があると、あとで困ります。
私自身、親からお金の教育をほとんど受けていません。 だからこそ、知識の足りなさよりも、「お金のことを話していい」という感覚のなさが大きかったんだろうと感じます。
お金の教育で残りやすいのは、知識の量だけではありません。 「分からないことを聞いていい」という感覚があるかどうかも、同じくらい大切です。
「聞けない」は、困ったときに助けを求めにくいことにつながる
お金のことを聞けないまま育つと、困ったときに誰かを頼るのも少し苦手になります。
- これは必要なのか
- どこを見れば分かるのか
- 何を比べればいいのか
- 自分の判断で進めてよいのか
こういう小さな確認を挟めないまま進んでしまう。
子どものうちは、失敗しても修正しやすいことが多いです。 でも、聞けないまま大人になると、そもそも立ち止まること自体が難しくなる。 私はそのことに、今になって少し怖さを感じます。
わが家の長女は、すでに月1000円のお小遣いを使う中で、買ってから「やっぱりいらなかったかも」となることがあります。 たとえば、コンビニでお菓子を選ぶときに勢いで買ってしまって、あとで「もう少し考えればよかった」と言うこともあります。
そのたびに思うのは、使い方の上手さだけでなく、迷ったことを言葉にする経験も大事だということです。
正解を当てることより、分からないままにしないこと。 お金の教育には、そういう面もあるのだと思います。

親として後悔しているのは「知らなかった」より「話題にしなかった」こと
自分が子どものころを思い返して、いちばん残っているのは、知識不足そのものではありません。 むしろ、話題にしなかったことです。
「お金のことはよく分からない」 「その話はあと」 「なんとなく聞きづらい」
そういう空気があると、子どもは自然に口を閉じます。 それが当たり前になると、分からないことを分からないままにしてしまう癖がつく。
親は、つい「知識を教えなきゃ」と思いがちです。 でも、私自身の後悔からすると、まず残したくないのはそこではありません。
残したくないのは、
- 聞いてもいいのに聞けなかったこと
- 分からないと言ってもよかったのに黙ったこと
- 話してよいはずのことを、家の中で遠ざけてしまったこと
この感覚です。
わが家で見える「聞ける」練習
わが家では、長女にお小遣いを渡しています。 すでに始めている家庭内の習慣として、月に1000円を渡し、使った日付・用途・金額をメモしてもらっています。あとで親子で振り返ることもあります。
この場面で感じるのは、金額の大小よりも、どう思って使ったかを言えるかです。
たとえば、振り返りのときにこんなことを聞くことがあります。
- そのとき、どうして買おうと思った?
- 使ってみて、満足した?
- 次は少し残しておきたいと思う?
すぐに答えが出ない日もあります。 でも、答えがまとまっていなくても、言葉にしようとするだけで少し違います。
昔の自分なら、そもそも「そんなふうに考えていいんだ」と思えていなかったかもしれません。 だからこそ、このやり取り自体が、私には少し意味のあるものに見えます。
次女はまだ5歳で、お金のことはほとんど分かっていません。 なので、無理に細かく教えるというより、たとえば家で買い物を見ながら「これはお金がいるんだよ」と短く伝えるくらいが自然な場面も多いです。 それでも、分からないことを聞いていい空気があるかどうかは、少しずつ伝わるのだと思います。
子どもに残したくないのは、知識不足だけではない
親として子どもに残したくないのは、「知らなかったこと」そのものではありません。 本当に避けたいのは、知らないことを知らないままにしてしまう空気です。
- お金の話は面倒だから触れない
- 分からないことは黙ってやり過ごす
- 聞くのは恥ずかしいことだと思う
こういう空気の中では、子どもはお金だけでなく、あらゆることを「分からないまま」にしやすくなります。
逆に言えば、親が立派な説明をできなくても、分からないことを分からないままにしない姿勢は残せるはずです。
わが家なら、たとえばこんなことはできます。
- 分からない話は「あとで一緒に確認しよう」と言う
- 親も知らないことは、知らないと認める
- お金の話を気まずいものにしない
- 迷ったことをあとで振り返る
こういう積み重ねのほうが、子どもには効くのかもしれません。
「知らないままにしない」ことは大切ですが、子どもに無理やり詳しい理解を求める必要はありません。 まずは、聞いていい・分からないと言っていい空気をつくることが先です。
親の後悔から見える、子どもに渡したいもの
今の私は、お金の教育でいちばん大事なのは、答えを早く出すことではないと思っています。 むしろ、聞いていいと思えることのほうが先です。
知識は大人になってからでも学べます。 でも、「聞いてもいい」「分からないと言っていい」と感じられないまま育つと、学ぶ入り口に立ちにくい。
親としての後悔をひとことで言うなら、私は「知らなかった」より「聞けなかった」のほうが残る、ということを子どもに渡したくないです。
たとえば、子どもが「これってなんで高いの?」と聞いたら、すぐに完璧な答えが出なくてもいい。 「いいところに気づいたね。少し考えてみようか」と返す。 親のほうが分からないなら、「それは私もちゃんとは知らない。あとで調べよう」と言う。
こういうやり取りは地味です。 でも、子どもにはかなり大きいはずです。
スーパーで「今日はどっちのおやつにする?」と迷う場面や、ガチャガチャを見て「今使うか、次にするか」を考える場面も、わが家では小さな練習になります。 お祭りや縁日のように、使う場面が限られているときほど、衝動で全部使ってしまうこともありますし、逆に残しておく判断も出てきます。 そういうときに、親がただ止めるのではなく、一緒に考える余地を残せるといいなと思っています。
お金の話を避けて育った私としては、子どもに残したくないのは、知識不足よりも、聞けなかった後悔です。 その差は、思っていた以上に大きいと感じています。
親としてできることは多くないかもしれません。 それでも、分からないことをそのままにしない空気だけは、家庭の中で少しずつ作っていける。 そんなふうに考えています。


